【私の工夫】様々な言葉と出会う授業づくり
県立岡山操山高等学校 教諭 難波 健悟(所属・職名は執筆時)
1 書き手としての読み手の立場
令和2年に復刻された青木幹勇『第三の書く』では、1986年の国語科教育の実態について次のように述べられている。
この指摘から30年以上が経過しているが、青木の指摘は結局、現場には届かなかったのだろう。それが復刻の意味であり、この度の学習指導要領の改訂も、それを象徴しているように思われる。
今回の改訂では、これまでの内容読解に傾倒した授業への反省から、「書くこと」「話すこと・聞くこと」の領域の配当時間が大幅に増えた。つまり、学習者を表現主体として育成していくことが、今後の国語科教育に求められている。
ただし、先の青木の指摘が、「書くこと」の学習の増加を企図したものではなく、「読むこと」の学習を支えるものとして書く活動を位置づけようとしていることには、注意しておかねばならない。無論、「書くこと」の指導の充実は必要であるが、同時に、「書くこと」との関連の中で「読むこと」の学習を位置づけなおしていくことも、新たな学習指導要領下の授業においては重要なのである。
例えば、学習指導要領「論理国語」では、「内容」の「読むこと」においては、「エ 文章の構成や論理の展開、表現の仕方について、書き手の意図との関係において多面的・多角的な視点から評価すること」とある。このように、書き方の特徴を分析し、そのような書き方をした書き手の意図を推論させることにより、学習者をより良い書き方に出会わせていくことが必要なのである。より良い書き手との出会いは、自ら書き手となる際の枠組みを学習者に与え得る。つまり、書き手の立場に立った読み手の育成が、より良い表現者を育てていくための「読むこと」の学習において重要なのである。
2 様々な声に耳を傾けること
ある単元の振り返りをさせた際の記述を引用する。
・文章の書き方にも筆者の伝えたいことが含まれていると知って感動した。
・これから事例や引用を読むときは、筆者がどういう意図でその事例を使用したのかを考えて、事例と主張は本当に結びついているのかということを意識するようにしたい。
・教科書で使われているような文章は、文だけでなく構成まで一貫して主張と揃えてあるのだなと感心しました。また、筆者の経歴や職業までもが文章の書き方に反映されるという見方は今回気づいた。
このような学習者の言語認識を育むために、日々の授業において稿者が特に留意していることを2つ述べる。
1つは、私たち自身が書き手の声と出会うことである。藤原顕・荻原伸は、深い学びを実践する上では、教師による教育内容研究(教材研究)が欠かせないと指摘している。文章の書き方の特徴は何か、書き手はなぜその書き方を選択したのか、事例の選択と書き手の立場との関係はないのか、引用の多用や題名の意味は書き手の主張とどのように関わるのか。例えばこうした観点を持ち、私たち教師自身が、書き手と出会おうとする強い意志を持たねばならない。そして、粘り強く書き手の声に耳を傾けていかねばならないのである。
もう1つは、学習者の声と出会うことである。私たちはまず、学習者は読めない存在だという認識を捨て、学習者がどのように読んでいるかを丁寧に看取っていかねばならない。宮本浩治が指摘するように、学習者の声の中には、文章の核心を突くような気付きが拙い言葉で表現されているからである。そうだとすれば、私たちの仕事は、読めない学習者に教え込んでいくことではなく、学習者の気づきの価値を見出し、適切に授業の中に位置づけていくことである。
こうした視点に立ち、今の時代を生きる私たちは、改めて青木の問題意識に出会おうとするべきだ。
『教育時報』令和4年8月号「私の工夫」で紹介された実践です